松阪牛

山路徳三郎(やまじとくざぶろう)翁

  • 「松阪牛」を世間に広めるきっかけとなった玉城の人
  • 人生をかけた牛追い道中
  • 時は明治、「文明開化」が叫ばれている「東京」では、牛鍋が流行。一般家庭でも牛肉が食卓にのぼりつつあった。 山路徳三郎は、牛の需要が増えることを予測。東京へ牛を運び、販売しようと考えた。 ところが、車もなければ東京行きの汽車もない時代。考えられる手段は「徒歩」のみ。売物の牛を大切にし、痩せないように牛用のわらや寝床を手配。川渡りなど道中の環境整備を整えるよう計画した。 さて、実行したのは明治10年、徳三郎38歳の時。3班体制を組み、まず10数頭、続いて50数頭、残りは50頭ほど。数日おきに出発し、一人あたり3頭を追いながらの道中だった。1班200mの長さに及び約20日をかけての旅となった。 そして、この光景はめずらしく、人々は〝珍風景〟として見物。商売でも信頼が厚く繁盛した。しかし、明治22年東海道線に鉄道が開通し、幕を閉じることとなる。毎年5〜6回ほど繰り返された牛追い道中がなくなり、寂しくなったが、平成となった今も語り継がれている。

  • 松阪牛とは
  • ○松阪周辺の決められた22市町村での肥育が最終最長である
    ○黒毛和種のメス牛で未経産
    ○松阪牛個体識別管理システムに登録している

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